ある神父さまのお話です。 その神父さまはドイツの田舎で生まれました。家は教育関係者を排出している名門です。彼には優秀なお兄さんがいました。あまり出来の良くなかった彼はいつも兄と比較され、「もっと頑張りなさい」と言われていました。 小学校5年の夏休み前、もらった通信簿は良くなかった上に、親への呼び出し状が 同封されていました。彼が家に入るのをためらっていると、可愛がっている犬が飛んできて喜んでしっぽを振ってくれます。彼は家には入らず、犬と一緒に近くの野原に行きました。野原の真ん中に座り込むと、犬もそばに来て座り、彼の顔をじっと見上げます。全神経を彼に集中して座っているのです。彼は犬を抱きしめながら話し始めました。「僕はお兄ちゃんみたいに頭も良くないし、どんなに頑張っても勉強ができないんだ。村でも有名な家に生まれて、将来は人のためになりなさいって言われているのに・・・」。犬はひたすら、この世にこの人しかいないという目で彼を見つめます。「ほんとうにつらいんだ。先生にも叱られて…。お兄ちゃんみたいになりたいんだけどできないんだ。お父さんもお母さんも分かってくれない。分かってくれるのはおまえだけだよね」「やっても出来ないことがどんなにつらいか分かるよね。一生懸命頑張ってるのに、お母さんに叱られたり『もっとやらなきゃ』って言われるんだ」。犬はじっと聞いています。 彼は胸の内のありったけを話し続けました。そうしているうちに何か胸がすうっとして きて、もやもやが晴れてきました。「こんなふうに自分のことを分かってくれる者がいる。勉強ができるとか出来ないに関係なく、自分に対してこんなに忠誠と愛情を注ぎ、この世で一番大事な存在として扱ってくれる・・・」。彼はその時「神様は自分をこういうふうに見ていてくださる」という感動を味わい、その後司祭の道を選んだというお話でした。(鈴木秀子著「愛と癒やしのコミュニオン」より)  そこでご紹介したいのが、随分前に買った本「聴くちから The Lost Art of Listening」(マイケル・P・ニコルス)です。その表紙は犬の顔のアップでした。どうも私は、全身全霊を傾けて聴く犬に学ぶ必要がありそうだと改めて思いました。前述した神父さまは、「愛とは全身全霊を傾けて聴くこと、受け入れることに尽きます。
つまりその人と共に一致して存在すること、それが愛です」とおっしゃっています。心に滲みる言葉でした。